仏壇工房 伝 | 日記 | 伝物語012-伝の由来


2013/09/11
伝物語012-伝の由来


私の父は一言で言えば、「お人好し」、「お調子者」、でとてもひょうきんな人で、私にはよく口癖のように言って聞かせていた言葉があります。

「人を騙す人間にはなるな、騙すくらいなら騙される人でいい」と「世の中には食べたくても食べられない子共がたくさんいるのだから、食べ物を粗末にするな、生産者、食材その物に感謝しなさい」でした。

もちろん父の教えは私にとってとても大きな影響もありましたが、由も悪しもそれを父を見ながら勉強させてもらった気がします。

父が会社を経営していた頃は人にお金を貸して裏切られた事もありましたが、そんな事も見てきましたので、騙されるのも考え物だと10代で勉強させられました。

今では笑い話ですが、こんな父の人柄があったからこそ父が工場を始めるさいに、大手お仏壇販売のメーカーさんからお声がかかり、父の工場はスタートできたのだと思います。

食べ物に関しては、できるだけ言いつけを守るようにはしていますが、長い海外生活でとても役にたったのはこの教えでした。

また父は常々私が好き嫌いを言うと必ず「これは辛いからまずい、おいしくないのではなくて、これは元々辛い料理で辛いからおいしいのだ」ほかにも苦い、甘い、臭い、置き方を変えれば同じですが、父は必ずこう言って私に教えていました。

私にはそう教えながらも、父は好きな物しか食べない人だったので、父だけ別メニュウだから当然、「残す」事はなかったのでこれも笑える話です。

海外にでて一番苦労する一つが食事なのですが、私はどんな国に行っても目の前に出る料理を「おいしい」と食べられるので食の苦労は一切無く、乗り切る事が出来ました。

ただ海外では相手に全部食べられると、礼儀が足りないと思う文化の場所もあり、相手によけいに気を使わせる事になったこともしばしばありましたし、出張などで食事に誘われると、残さないようにしていると数日で太ったりしました。

昔と違い現在は栄養価、カロリーの高い食品が多いので最近では、お腹いっぱい食べないように注意しています。

実は私の父は、ここ最近では記憶に新しい関東大震災で被害にあった東北、福島県の出身で、徳島の阿波弁を話すようになったのは私が大人になってからだったように思います。

父の影響を受けてか、私もあまり阿波弁が上手にしゃべれず、少しいじめられていたように思いますが、海外に指導に出てからは、標準語に近いのか通訳の人達に私の日本語がわかりやすかったようです。

父が亡くなった年の2011年3月11日にあの地震があり、当年5月に他界しましたがTVで震災のニュースを悲しそうに見ていた父の姿は今も記憶に残っています。

ガンに侵されていた父には体力も無く、春に福島に連れて行きたかったのですが震災の事もあり、生まれ故郷に連れて行ってあげられなかったのが、今の私の心残りです。

私が小さい頃、一番印象に残っているのは、当時金曜のゴールデンタイムに新日本プロレスが放送されていて、始まるのはちょうど父が晩酌を終えた後、私もタイガーマスク見たさに必ずテレビの前にいるので、メインのアントニオ猪木戦を見ながら、ほろ酔い加減の父に「足四の字固め」の餌食にされていた事ですね、しかも毎週必ずの恒例行事みたいになってました。

ただひとたび工場で作業を始めれば、腕の良い職人で私も父から色んな事を教わりました。

父は木工と組立が得意で、当時はお手伝い程度の事しか教わりませんでしたが、父が引退後に私がいろんな技術、知識を学んでいる頃には良きアドバイザーとなってくれました。

人付き合いが良く、断れない性格の父は、会社が忙しいい時でも飲みに行ってしますこともしばしばありましたが、人としてとても尊敬できる人生の大切な師匠でした。

人柄が良くても経営に関しては褒められた人ではなかったので、バブル崩壊と共に会社は衰退し倒産を余儀なくされましたが、落ち込む事なく明るさを失わなかったポジティブな性格もいまの私に受け継がれていると思います。

父から教わった教えは大切に私の子供達に教えています。


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