仏壇工房 伝 | 日記 | 伝物語006‐伝の由来


2013/06/20
伝物語006‐伝の由来


仕上場で普段、常に補助していたのは一緒に作業していた女性社員のかたでしたが
あの日以来それは私の仕事になり、常に師匠の作業を傍らで見て、盗むチャンスに恵まれる様になりました。

師匠の口癖は「わしは鳥やけん、じっとしとれんのじゃ」でした。

徳島の方言で「私は鳥(酉年の事)だから、落ち着いてはいられない」ってことです。

私も同じようなタイプだったので、この師匠が初めの師だったから?
でしょうか落ち着きのなさがさらにパワーアップしていたように思います。

ただ師匠の技術を盗むために一生懸命見ている時間だけは集中していたのは覚えています。

それに慌ただしく作業している合間に師匠が急に「てっちゃん噴いてみ」と言って技術を試す機会
を与えてくれるので、集中して見ていないとできませんでした。

個人差はあると思いますが、当時の私にはこの非効率的な指導があっていたのでしょう
逆に「見る」、「気付く」と言う事、観察力、洞察力、集中力、 みたいな事の大切さを身をもって教えていたのだと、
よく言う「職人の心意気」の一端がこう言う事なのかなっと今では思います。

当時ここでの仕事を例えるなら、負けられない試合で前半の終了間際に先制されたサッカーの試合の       前半、後半みたいな感じでした。

なぜかと言うとここはお仏壇を仕上、出荷する場所、つまり出荷=収入みたいな場所でした。

企業によって違うとは思いますが、当時父の会社は作ったお仏壇を収める先が決まっていて
商品を納めれば収入が確定するみたいな感じでしたので、今の時代では考えられないですが「バブル時代」
はそれでも商品が足りないくらい売れていたのでしょうから、バブルって凄いって今は良くわかります。

1本出来たら出荷とかじゃなくロット生産なのでどうしても最終、とくに月末は忙しくなってました。

今は10本や少ない物だと数本なんてロットもありますが、当時は40本とか大きなロットが主流だったので
最後は大変でしたね、生産計画なんてあっても無いような物でしたし、、経営者側にも問題はありますが
買取る、販売業者側からのプレッシャーも相当あったみたいですが、それも私から見れば「バブル」の象徴
の一つだったのだと思います。

話がそれましたが、つまり月の前半と後半では仕事の環境はがらりと変わるのです。

前半は比較的余裕がありますが、後半に入るととにかく必死でって感じでした。

師匠の元で半年ほどする頃には、比較的簡単な作業、仕上げ作業を任されるようになっていました。

そして月の初め、月末出荷の後は商品が現場に来ない空白の日が数日あり、この時間に修理作業
主に販売店がお客様から預かったお仏壇、父の会社で作ったお仏壇、他メーカーが作ったお仏壇
それらの修理、修繕、お洗濯などをこなしていました。

大体は全体的な修理、修繕が終われば、立吹きして完了と言う感じでしたが、この時は私にとって最大のチャン
スでしたね、なにしろ修業中の私が実際に立吹きする機会はこの時しかなかったのですから
通常のお仏壇はロット作業なので私がノロノロ仕事したりミスを犯せばかなりの作業ロスになります。

ですが不定期に出荷でき、エアーポケットのように空いた時間、この時だけは師匠からも
「ミスしたらワシが直したるけん」(徳島弁で「みすしたら私が直してあげるから」)と師匠の了解を得て
日頃盗んだ技術を思う存分試すことができるチャンスでした。

それ以外にも、古くなったお仏壇だからわかる事、学べる知識、学べる技術は例えようがないほどの「先生」
特にお洗濯などで送られてくるお仏壇はどれも10年以上、何十年も経っている物も多く、先人達の知恵や
技術を見る、学ぶ最高の教材だったと思います。

私が今までにに修理、お洗濯をしたお仏壇は1000本は超えてるかもしれませんね
そんな事をしながら1年が過ぎ、2年が過ぎようとしている頃にある事件が起こります。

これが私の環境を一変することになっていきました。




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