仏壇工房 伝 | 日記 | 伝物語008-伝の由来


2013/07/11
伝物語008-伝の由来


忙しく仕事をいていながらも、従業員さんへの指示、外注先への発注、組立部との連携、毎月2回の生産会議、その他諸々を自分でもビックリするほどにこなせていました。

とはいえ人材不足は相変わらず補えず遅くまで残業する体制に変わりはありませんでした。

1番の問題は私だったのだと言う事に気が付いたのは最近になっての事でしたが、そもそも職人さん同士はプライドが高い人が多く、なかなか他人となじめない方が多かったからでもありましたが、当時の私は17歳のよく言う「若造」であり私の下に職人さんを付けるのはまず無理もあり、未経験者を雇ってもまだまだ人に教えられるような職人には程遠い存在だったと思います。

 ただまがりなりにも師匠が不在の間、始めの1,2ヶ月は生産量を落としましたが、その後は月平均200本超のお仏壇を仕上ていた私にはある確信がありました。

師匠が中心で作業している頃からの悩みの種、人材不足は私の成長で十分にカバーできるのではないか、この苦しい残業体質を解消できるのではないか、師匠さえ戻ってくれば大丈夫、って言うのがこの頃の私の考えでした。

当時の私の環境は社会人として仕事をしている反面、現役高校生なのですから、友達とバカなことしたり、ナンパしにいったり、やりたい事は山ほどありましたが、常に私の中で足枷(あしかせ)のようになっていたのが仕事でした。

仕事に支障をきたすと思えばそれ以上できない、会社に迷惑をかけられない、自分がいなければみんなが困るから、今は自分しかいないから、みたいな考えが常に頭の中にあり、その一方では他の友達みたいに時間が来れば学校があるからと当然のように帰って行く、自分の事を優先できる者にたいしては「なんで俺ばっかり」みたいなヒガミがありました。

一番は当時付き合っていた彼女との時間が制限されていたこと、私の生活は昼間仕事 で夜学校+残業、学校の出席日数の問題でどうしても残業できない時は、学校が終わってからまた仕事、足りない分は日曜日仕事、だからデートは月初めの第1第2の日曜日くらい、二人とも月末の誕生日だったし世の中のカップルの祭典クリスマスも月末、笑えますがほとんどのイベントは振替で月初めにしてました。

そして待ちに待ったその日、すっかり体調も良くなった師匠が会社に挨拶に来ました。

胃を摘出して食べる量が減ったのもありますが、もともと細身の師匠がガリガリに痩せていて驚きましたが、本人も少しづつしか物を食べられないのが面倒だが、体調はすっかり良くなったと言い安心しました。

それでもしばらく体調が戻るまでは私に仕事を任し、手伝いくらいから始めると言うことで師匠が復帰する事になったのです。

ですが復帰してしばらくした頃、師匠の口から思いもよらない言葉が飛び出し驚きました。

「テっちゃんワシはもう要らん子やけん、仕事辞める事にしたんよ、社長にももう言うてきたんよ、あとはテっちゃんに任すけんな、がんばりよ」 

あえて翻訳しませんが、以前のように動けないもどかしさと、私が中心になって現場を動かし、お仏壇を仕上ている姿を見て自分はもう必要ないと感じ たそうですが、やっぱり職人さんのプライドみたいなことも要因していたと思います。

先述でも言いましたが、私は当時17歳の若造であり、ましてや元々は師匠の弟子、社長の息子ってのも相まってやりにくいところもあったのだと、もちろんそれだけではなく職人のプライド、病気、いろんな葛藤も当時の師匠にはあったのだと言う事を、その数年後に師匠から聞かされましたが 当時はまさかそんな理由で自分の構想が崩れ去る事になるとは思ってもいませんでした。




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