仏壇工房 伝 | 日記 | 伝物語009-伝の由来
2013/07/19
伝物語009-伝の由来
私が尊敬し、頼り、現場に復帰し、今までとは違いその傍らで手伝いではなく一緒に会社を盛り立ててくれると信じていた師匠が去り、そこからはいろんな意味で職人として、社会人として、一人の個人として成長して行く事になりました。
またバブル後期のその頃は3Kが流行していた頃でした(3K=汚い、臭い、給料安い)要するに肉体労働はカッコの悪い職業でした。
会社の中でも特に良く面倒を見てくれてた30代の職人さん達は次々辞めていきました。
確かに私自身それだけ仕事していても給料は15万円(残業代込)程度でしたから本音を言えば逃げ出したいくらいでしたが、自分の置かれている立場がそうはさせてもらえませんでした。
師匠が去った事で私の仕事環境はいつまで経っても改善されることは無く、むしろ厳しさを増していったように思いました。
会社としても仕上場の状況を改善しようと仕上職人を募集してみても、どこでも引っ張りだこだったので来てくれる人は見つからず、時間はかかっても若い初心者を雇い私が教えていく事になりました。
とは言え3K時代になかなか働き手も無く、結局は私の友達で同じ学校に通う仲間を誘って若い人材を確保していました。
気心がしれている仲間との仕事は、忙しくも楽しくありましたが、逆に今まで対等の友達関係にあった仲間と仕事上とはいえ上下関係が生まれ、やりずらさも感じていました。
小学校、中学校と色々なクラブ活動はしていましたので体育会系の上下関係の考え方、日本的な上下関係、社会の上下関係を経験してきましたが、同い年で中学時代からの友人を指導したり、教えるのはかなり気をつかいました。
なんといっても師匠が師匠でしたから、「仕事は見て盗め」を実践してきた私に他人を教えるなんてことは正直かなり苦悩の連続でした。
ただこの苦悩もまたこの後の人生では大きなプラスにはなりましたね、指導者と言う立場で海外に出たのも、職人、会社員としてもまだまだ若かったですが、物怖じせず踏み出せたのも、指導してこれたのも、若いころから多くの人達といろんな立場で、出会い、接してきた経験が生きたと思います。
言い訳する訳ではないですが、学の無い私が社会で学んだことは、何よりもまず人とのつながりが大切なんだと言う事、結果的には良くも悪くもなりますが、いろんな人と出会い、接して、つながっていく事が土台としてなければ勉強だけしていてもそれを本当に生かす事は出来ないと今は感じています。
いつもながら話がそれてしまいましたが、新体制で仕事をしていく中で若かった事もあり、私を含め部下もどんどん腕を上げて、仕事も相変わらず忙しいながらも、うまくやっていたと思います。
ただこれも若かったからか回りの部下も1年くらいで、仕事を出来るようになるとすぐに辞めていきました。
この頃はよく母が仕事を助けてくれましたのと、高校最後の年に就任してきた先生この二人が精神的な支えになっていたかもしれません、母は徳島の田舎、秘境みたいな場所で生まれ育ち、小さい頃から兄弟の面倒を見ながら働いてきた人で、忙しい時は毎晩12時くらいまで手伝いに来てくれました。
仕事の連携もスムーズで一番頼りになるサポートをしてくれている従業員のおばさんは、私が入る前、師匠の頃から勤めてる人なので、私にとっては最も計算できる、頼りになるかたでした。
ですがやはり女性で家庭もあるので残業しても毎日はとても無理でしたから、その後は母が良く手伝いに来てくれていました。
親子としてはもちろん母には感謝していますが、仕事でも支えてくれていた母には本当に感謝しっぱなしですね、おかげで反抗期に反抗できなかったです。
この高校最後の年、一番感謝しなければいけないのはこの年担任として就任した先生でしたが、最初の印象はとにかく最悪でした。
次回伝物語010で少しこの先生の話に少し触れたいと思います。
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